知財高裁 令和元年(行ケ)第10097号
・権利:特許
・ポイント:進歩性
判決の要の抜粋
本件は、拒絶査定不服審判について請求不成立審決を受けた原告がその取り消しを知財高裁に求めた事件である。
以上によれば、引用発明1と甲4発明とは,発明の課題や作用・機能が大きく異なるものであるから,甲1に接した当業者が,甲4の存在を認識していたとしても,甲4に記載された装身具取付台の構成から,「細幅の係止導孔(3)を有する円形の釦挿通孔(2)」の形状のみを取り出し,これを引用発明1のボタン係合部19における切欠き状の部分の具体的な形状として採用することは,当業者が容易に想到できたものであるとは認め難く,むしろ阻害要因があるといえる。
上記枠内の部分が本件に対する判決の要である。ざっくりと言えば、「進歩性の判断において副引用発明の適用は慎重にしなければならない」ということになろう。
検討
本件の基になる特許出願は分割出願であり、分割出願から代理人が関わっている。本件での原告の主張はさておき、判決の要の前提となる特許出願・引用発明1・甲4発明を検討してみる。
特許出願
本件の対象となる特許出願は子供用簡易蝶ネクタイであり、特許請求の範囲の【請求項1】は次のようになっている。
結び目を有する子供用簡易蝶ネクタイであって前記結び目の裏側にはシャツの第一ボタンがはまり込むボタン穴が形成された部材が,前記結び目とつながって,前記結び目の表側に貫通しないように形成され,前記ボタン穴は全ての側縁が閉じた縦状の穴であり,前記結び目近辺にシワを有し,前記結び目の裏側のボタン穴が形成された部材とウイングとの間には前記結び目を介して横方向に空洞部分を有し,前記ボタン穴が形成された部材を持ち,閉めてある状態の第一ボタンの上からはめ込むことで装着することを特徴とする子供用簡易蝶ネクタイ。
以下では本件請求項1に係る発明を、本件補正発明と称する。というのも本件補正発明は審判での補正手続によって出現したものだからである。
甲4発明
ワイシャツの第一釦(c)を細幅の係止導孔(3)を有する円形の釦挿通孔(2)に挿通し、係止導孔(3)と係合して止着する装身具
引用発明1
引用発明1は以下の通りに認定され、本件補正発明との一致点とされている。
結び目を有する簡易蝶ネクタイであって前記結び目の裏側にはシャツの第一ボタンがはまり込む切欠き状の部分が形成された部材が,前記結び目とつながって,前記結び目の表側に貫通しないように形成され,前記結び目近辺にシワを有し,前記結び目の裏側の切欠き状の部分が形成された部材とウイングとの間には前記結び目を介して横方向に空洞部分を有し,閉めてある状態の第一ボタンの上からはめ込むことで装着する簡易蝶ネクタイ
判断
知財高裁の判断では審判での判断通りに、本件補正発明と引用発明1とは相違点が3つあると以下のように認定された。
(相違点1)
簡易蝶ネクタイについて,本件補正発明は,子供用であるのに対し,引用発明1は,そのように特定されない点。(相違点2)
ボタンがはまり込む切欠き状の部分について,本件補正発明は,全ての側縁が閉じた縦状の穴であるボタン穴であるのに対し,引用発明1は,下縁から凹状切欠いたボタン係合部19である点。(相違点3)
簡易蝶ネクタイの装着について,本件補正発明は,ボタン穴が形成された部材を持って装着するのに対し,引用発明1は,そのように特定されない点。
審判と知財高裁での判断の相違
審判と知財高裁とで判断が異なったのは、引用発明1の相違点2の部分に対する甲4発明の適用の可否についてである。引用発明1の一部に甲4発明(甲4に記載された発明)の一部を採用することは、審判では可とされたが、知財高裁では不可とされた。
知財高裁での結論については流石と納得する。しかし結論に至る判断はいかがなものかと思われる。
審判での判断
審判では以下枠内のように判断された。
引用発明1及び上記引用文献4の装身具は、いずれも装身具を簡単にシャツの第一ボタンに装着できるようにするという共通の課題を有し、これを着用するにあたり切欠き状の部分にボタンがはまり込むことで装着するという共通の機能を有するから、引用発明1のボタン係合部19における切欠き状の部分の具体的な形状として引用文献4の係止導孔を有する円形の釦挿通孔の態様を採用し、上記相違点2に係る本件補正発明の構成とすることは、当業者であれば容易になし得たことである。
知財高裁での判断
知財高裁では以下枠内のように判断された。
以上によれば、引用発明1と甲4発明とは,発明の課題や作用・機能が大きく異なるものであるから,甲1に接した当業者が,甲4の存在を認識していたとしても,甲4に記載された装身具取付台の構成から,「細幅の係止導孔(3)を有する円形の釦挿通孔(2)」の形状のみを取り出し,これを引用発明1のボタン係合部19における切欠き状の部分の具体的な形状として採用することは,当業者が容易に想到できたものであるとは認め難く,むしろ阻害要因があるといえる。
このように審判と知財高裁では、課題・機能についての判断が真逆となっている。課題・機能についてさらに検討する。
課題についての判断
課題について知財高裁の判断は以下枠内のように認定している。
しかしながら,前記(2)イのとおり,引用発明1は,簡易型のネクタイ本体を取付ける着用具を改良することによって,着用状態における位置ずれや傾きを生じ難く,低コストで生産でき,そして着用操作も容易である簡易着用具付きネクタイを提供することを課題とするものである。
一方,前記ア(イ)のとおり,甲4に記載された考案は,襟飾り,生花等の種々の装飾小物,殊に襟前に止着する装身具について,着脱が簡単であり,かつ,衣服の損傷がほとんどない装身具取付台を提供することを課題とするものであるが,かかる装身具として,蝶ネクタイやネクタイを例示するものではなく,蝶ネクタイやネクタイを着用する際に固有の問題があることを指摘するものでもない。
したがって,引用発明1と甲4発明は,その具体的な課題において,大きく異なるものといえる。
課題の判断についての考察
知財高裁では課題を甲4に記載された通りに(ミクロに)捉えている。一方、審判では課題を甲4に記載された内容よりも緩やかに(マクロに)捉えている。
知財高裁では、引用発明1の課題を、蝶ネクタイやネクタイを着用する際に固有の課題と認定しているが、傾かない形での着用・低コスト・着用操作が楽というのは、蝶ネクタイに限らずネクタイ・装身具等の着用物に共通の自明の課題だと思われる。
例えば甲4には課題としては、傾かない形での着用について記載されていない。しかし甲4の第1・2図を見れば明らかなように取付台主板(1)を上下2か所でシャツに止める構成となっている。1か所は取付台主板(1)の上側に形成されたボタンホール(縦長の釦挿通孔(2)とその下の丸い係止導孔(3))であり、もう1か所は取付台の下側から突き出したピン(4)と、ピン挿入キャップ(6)である。
また甲4の第7図には、上方に係止導孔を形成した釦挿通孔が上下に2つ間隔をあけて配置されていることが明示されている。そして甲4の第5頁の第7~11行には、以下枠内のように記載されている。
衣服のボタンの取付幅に合わせた間隔をもって2個の釦挿通孔(2)(2)と該釦挿通孔(2)(2)に連続して係止導孔(3)(3)を構成したもので、
これら構成は傾かない形での着用が効果として明らかに得られるものである。効果と課題とは表裏一体の関係にある。そうすると、明記されてはいないが、甲4についても傾かない形での着用について自明の課題があったと認定してもよいように思う。
低コスト・着用操作が楽という課題については、不条理なまでに高コストとなるものや着用操作が不条理なまでに苦となるものを副引用発明からは除外すれば良いだけではないか。
審査基準
審査基準では課題の共通性に関して次のように記載されてされている。
本願の出願時において、当業者にとって自明な課題又は当業者が容易に着想し得る課題が共通する場合も、課題の共通性は認められる。審査官は、主引用発明や副引用発明の課題が自明な課題又は容易に着想し得る課題であるか否かを、出願時の技術水準に基づいて把握する。
審査基準と知財高裁の判断についての考察
そうすると課題の共通性に関しての審査基準は妥当ではないか。蝶ネクタイ・装身具等を開発する当業者にとっては、引用発明1の課題は自明な課題又は容易に着想し得る課題であると思われる。そして甲4については課題として明示がないが、自明な課題として判断するのが妥当であると思われる。したがって知財高裁の判断は、課題の共通性に関する審査基準を否定したように思え、残念である。
機能についての判断
機能について知財高裁の判断は以下のように認定している。
また,発明の作用・機能をみても,引用発明1は,基板部,ネクタイ取付部及び一対の突出片から成る簡易着用具を備え,ネクタイ取付部の裏側に位置する基板部に,その下縁を凹状に切り欠いたボタン係合部を設け,その切欠きにシャツの第一ボタンを係合させるとともに,一対の突片を襟下へ挿入することで,簡易蝶ネクタイの良好な着用状態及び簡単な着用操作を実現するものである(前記(2)ア(オ))
そして,甲1には,引用発明1に関し,①「ボタン係合部19」の奥部は,ボタン取付け糸の部分を丁度跨ぐことができる程度の小円弧状をなすものとし,その幅は,ボタンとの係合状態において横方向にほとんど移動しない程度のものとすること,②着用時にボタンとの係合を容易にするとともに,着用時に基板部2の片側がボタン穴に入り込むことを防ぐために,「ボタン係合部19」の下方を,ラッパ状に下方へ拡大して基板部2の下縁に達するものとすることの記載(前記(2)ア(エ)a)がある。これは,結び目の陰に隠れて見えない状態のボタン係合部を,上方から探りながらも容易に装着できるようにするための工夫といえるから,簡易着用具1の基板部2における,ボタン係合部19の配置位置及びその形状を引用発明1の構成とすることは,引用発明1の課題を解決するために,重要な技術的意義を有するものであることを理解できる。
他方,甲4発明は,取付台主板に対して上方に係止導孔を連続形成した釦挿通孔を穿設すると共に,他の一部に背面方向に突出するピンを突設し,ピン先端にピン挟持機構を有するピン挿入キャップを冠着することで,釦の確実な止着と,各種装身用小物の衣類への簡単な着脱を実現するものであって(前記ア(イ)b),第1ボタンへの係合方法,衣類への確実な止着及び簡単な着脱の実現手段において,引用発明1と大きく異なるものであるから,発明の具体的な作用・機能も,引用発明1とは大きく異なるものといえる。
懸念事項
ここで気になったのは、まず甲4発明の認定が原告の指摘(審判での認定)に対して拡張されていることである。
原告の主張
原告(審判)は以下のように主張している。
(イ) 相違点2について
本件審決は,本願の原出願前に頒布された刊行物である甲4(実願昭59-173953号(実開昭61-88518号)のマイクロフィルム)には,「ワイシャツの第一釦(c)を細幅の係止導孔(3)を有する円形の釦挿通孔(2)に挿通し,係止導孔(3)と係合して止着する装身具。」が記載されており(以下「甲4発明」という。),この「細幅の係止導孔(3)を有する円形の釦挿通孔(2)」は,本件補正発明の「ボタン穴」に相当する旨認定した。
知財高裁での認定
知財高裁では以下のように認定している。
甲4発明は,取付台主板に対して上方に係止導孔を連続形成した釦挿通孔を穿設すると共に,他の一部に背面方向に突出するピンを突設し,ピン先端にピン挟持機構を有するピン挿入キャップを冠着することで,
審判と知財高裁での認定の差異
審判では、甲4に記載された発明の一部、つまり係止導孔と釦挿通孔の部分を甲4発明として認定しているのに対し、知財高裁では、さらにピン・ピン挿入キャップをも含めたものが甲4発明と認定している。そのうえで知財高裁では、上記した枠内の文章の後に以下のように認定している。
釦の確実な止着と,各種装身用小物の衣類への簡単な着脱を実現するものであって(前記ア(イ)b),第1ボタンへの係合方法,衣類への確実な止着及び簡単な着脱の実現手段において,引用発明1と大きく異なるものであるから,発明の具体的な作用・機能も,引用発明1とは大きく異なるものといえる。
このような認定がなされるのであれば、特許出願の殆どが拒絶されないのではないか?複数の引用発明がほぼ同じ課題であり、作用・機能が似通ったものでなければ、公報に記載された発明の一部を抜き出して適用することは認められないとなるのはいかがなものか?
知財高裁ではさらに以下のように認定している。
加えて,甲4の記載事項(前記ア(ア)c)によれば,甲4発明の装身具取付台は,衣類に装着する際に,第1ボタンの前部からアプローチして,釦挿通孔(2)に挿入した後,装身具取付台を鉛直方向の下部に移動させ,係止導孔(3)を第1ボタンの取付糸に係合するものであるから,当業者であれば,第1ボタンを釦挿通孔(2)に挿入する際に,これらを視認できる状態でないと,ボタンの着脱動作が困難となることを理解できる。
そうすると,仮に,引用発明1のボタン係合部19における切欠き状の部分の具体的な形状として,甲4発明の「細幅の係止導孔(3)を有する円形の釦挿通孔(2)」の態様を採用した場合には,ボタン係合部19の前側に位置し,その前側にネクタイが取り付けられるネクタイ取付部3が存在するため,簡易蝶ネクタイを着用する際に,簡易蝶ネクタイ及びネクタイ取付部に隠されて,第1ボタン及びボタン穴を視認することができないことになる。そのため,ボタン係合部を切欠き状にする場合よりも,着用具へのボタンの係合が困難となることは明らかであるといえる。
考察
直上の認定自体は確かにその通りである。知財高裁では、審査基準の3.2.2 阻害要因の(i)の副引用発明に該当すると認定したように思われる。
(i) 主引用発明に適用されると、主引用発明がその目的に反するものとなるような副引用発明
しかし効果が少しでも劣るものを副引用発明としてはならないのであれば、前記したように特許出願の殆どが拒絶されず、特許権の乱立を招き、産業活動が委縮することになろう。
個人的には、甲4発明は審査基準の3.2.2 阻害要因の(iii)の副引用発明に該当することにした方がよいと思われる。
(iii)主引用発明がその適用を排斥しており、採用されることがあり得ないと考えられる副引用発明
確認
改めて甲1を確認すると、考案が解決しようとする課題において、ボタン止めを排斥する記述がある。甲1の明細書の3頁の13~16行目にかけて以下のように記載されている。
また、着用具が両端をシャツの襟下にボタン等で止付けるものの場合は,コスト低減効果はあるが、その使用面で着用のためのボタン止めが必ずしも容易でない問題がある。』。
また同明細書の4頁の3~8行目にかけて以下のように記載されている。
以上のようなことから、この考案は簡易型のネクタイ本体を取付ける着用具を改良することによって、着用状態における位置ずれや傾きを生じ難く、低コストで生産でき、そして着用操作も容易である簡易着用具付きネクタイを提供することを課題とする。
これら記載を勘案すると、甲1では、ボタン止めの適用を限りなく排斥していると認定できる。限りなくと言ったのは、着用具の両端をボタン止めすること、つまり着用具の2か所をボタン止めしていることは排斥していると認定できるが、1か所をボタン止めすることは排斥しているのか否かについて論点となる可能性が残されているからである。
ただし甲1の発明は、シャツの第1ボタンに係合するように下縁を凹状に切欠いたボタン係合部を基板部に有するものであり、ボタン係合部をボタン取付糸に対して予め真上側に配置しておいてから、基板部を引き下げることにより、ボタン係合部にボタン糸を挿入し、ボタンに対する着用具の装着を容易にできるものである。下縁を凹状に切欠いているからこそボタンに対する着用具の装着が容易になる。
甲1の発明のこのような構成を加味して、甲1の課題を改めて認定するのならば、実質的にはボタン止めを排斥していると認定しても良いのではなかろうか。
そうすると、引用発明1を主引用発明とする限り、本件発明を進歩性違反で拒絶することは不可能である。つまり主引用発明に甲1を認定したことが間違っていたことになる。以上